油揚げが爆ぜる音

ゆるふわノンフィクションの暴力

真の男はハイアンドローでタフになる

 よくきたな。おれはジョージ・グーテンタークだ。おれは毎日すごい量のテキストやレビューブロゴを読んでいるが、誰にも紹介する気はない。おまえはハイアンドローを知っているか? 知らなかったおまえはスマッホやSiriで調べて出てきたオンラインカジノのあまい香りに誘われ、ベーリング海でカニをとることになるだろう。ハイアンドローは、そんな意思のよわい腰抜けをタフな男に変えることができる映画だ。

 ハイアンドローを観るうえで、重ようなポイントは3つだ。
「ドラマの続編であること」
「タフなヤンキーたちの映画であること」
「エグザイルが主演であること」
 ここまで読んで、映画通を気どりたがるおまえは顔をしかめるだろう。マイルドなごろつきか髪を金に染めた女がキャーキャー言うためだけに作られた映画だろう、と。
 これを観ずにアクションえいがを語ることは、ドンタコスを食べずにスナックぎょうかいを語ることと同じだ。邦画のアクションはダサいとブリングルスをほめる前に、一度口に入れてみろ。
 この映画は、かんたんに言えば「観る合成麻薬」だ。SWORD地区という苛酷なメキシコを舞台に、顔のいいバンデラスたちが入り混じって殴り合う。バンデラスのルックスがいいことはこの際ふもんにする。この映画は、出てくる全員がバンデラスとなってスクリーンをあばれ回る、資金力によってぶそうしたテロのような映画だ。
 おまえはこの映画を再生し、脳内にたくさんのクエッチョンマークが生まれるだろう。それに適応し、アドレナリンが脳を浸しはじめた瞬間、おまえはハイアンドローという世界の深淵をのぞく。ドリトスを口に運ぶのもわすれ、さまざまなアウトローたちの生きざまに涙を流した瞬間、おまえは肩でかぜを切るタフな男になっているはずだ。琥珀さん琥珀さんとうわ言のように叫びながら、蛍光灯をつけたり消したりしはじめる。
 おれの解説は以上だ。おまえはこれを読んですぐに近くのレンタルDVDショップに走るか、フールーやdTVといったストーリミング配信のサイトに金を落としはじめるだろう。もしくは、明日の9時からのテレビ放送を忘れないようにリマインダーにメモをとればいい。おまえが激しいアクションを観てからタフな男になれることを祈っている。

《追記》

地上波という放送けいたいこそが過酷なメキシコだった。

この時期パン1は辛いものがある

知り合いに自分が書いた文章を読まれるのは、どうにもむず痒い。だって、実質全裸を見られるのとそこまで変わらないじゃないですか!?

 

創作全般に言えることだけど、特に文章って作者の趣味嗜好がダイレクトに現れるというか、影響された作家とか主義思想が剥き出しになってるわけですよ。つまりパンツまで脱いでるんですよ。その上で友だちとか読者の方に嬉々として見せるって、もう露出狂なわけですよ。迷惑防止条例違反なわけですよ。それで僕らはエクスタシー感じてるからド変態だよなって話で。

でも流石に人前で文章発表する時はパンツは履くじゃないですか。何ならムダ毛も処理してツルッツルにするじゃないですか。僕の場合、普段の文章書くときの癖を一回リセットして削ぎ落とすんですけど、それでも周りから「お前の文章は特徴的だ」って言われますから!隠してもシルエットでわかるみたいな、恥じらいを持った準公然わいせつ的な状態なんですよ。

 

そこで思ったんです。僕の創作上の特徴って何なんだろう? って。

 

僕が今投稿してる小説『Muse Night』からわかる特徴は、

  1. 三点リーダーを多用する
  2. キャラの背景における父親の重要性
  3. 呼び名へのこだわり

これなんですよ。

 

ここから推測される趣味嗜好って

  1. 含みのある表現を好む
  2. ファザコン
  3. 呼び方を変える・変えられることを望む

こうなりますね。

 

ええ、全部当たってます。気持ち悪いほどに当たってます。

 

キャラの特徴から推察するなら、

  1. 主人公格は飄々とした性格
  2. 女性キャラは大概S気味
  3. ファッションはパーカー率が高い

 

無意識的なんですけど、全部僕の好物なんですよ。気持ち悪いよね。

 

また、表現の節々から新藤晴一氏のオマージュがあったり、推理シーンがあったり、作者の好みの数々が体現されてます。

 

そして、周りからよく言われる僕の文体の特徴は、

  1. 無駄にレトリックにこだわる
  2. 難しい言葉を使いたがる
  3. 読点は一文に二つか三つ

即ち、

  1. かっこつける
  2. 頭いいふりをする
  3. 早口であまり文章を区切らない

こういう事になるんじゃないかなって(ムリヤリ)。

これね、プロファイリングとかに使えるわ。

 

ところで皆さん気づいたでしょうか? 今まで勢いで文章を書いていることに……。なるべく狐構文を使わないように、たぶん推敲しないで投稿すると思うんですけど、これで僕っぽいってなったらパンツ燃やします。

 

 

僕は『感動』を与えるために生きてるわけじゃない

毎年Twitterで言ってるけど、僕は24時間TVが嫌いだ。

あれほど醜悪なものはない。安易に感動をグラム売りする番組内容と、『理想の障害者像』にあてはまる物にしか目を向けない視聴者ほど。

 

僕は小児脳性麻痺でこの世に生まれ、18年間生きてきた。ろくに挑戦もせず日々の生活を送ってきた身にとって、頑張る障害者の姿は眩しい。

それと同時に、「あの子たちは頑張ってるのに、あなたはなぜだらけてるの?」と昔から言われ続け、僕はずっと違和感を覚えていた。『障害者はみんな頑張なければいけない』という無言の圧力が世間に想像以上に浸透している気がする。

 僕たちは日々頑張って生きているんだ。誰かを感動させるために生きてるわけじゃない。その人生の頑張りを認めてくれないのはなぜなんだろう。

感動ポルノ、という言葉がある。『障害者=感動』という安易な図式が広まっているのは、日本だけではないらしい。そんな式がまかり通っているなら、障害者差別は消えることは無いんじゃないか。

 

NHKは24時間TVの裏番組にバリアフリー・バラエティ(バリバラ)の特番を放送する。テーマは『障害者×感動』で、見事なアンチテーゼとなっている。

その番組は、障害者の目線で笑いを提供している。そこで放送されることは100%のリアルで、正直めちゃくちゃ面白い。健常者からは不謹慎だと言われることもあるが、当事者はこうして笑っている。

 

「24時間テレビはちゃんとチャリティーしてるから役立っている!」という意見もある。確かに寄付されたマイクロバスは昔活用していたから、僕もチャリティーの恩恵にあずかっていたんだろう。

しかし、本気でチャリティーを目指すなら出演者のギャラは無償でいいはずだ。視聴率稼ぎに司会をジャニタレにしなくていいはずだ。不幸な障害者をピックアップして矢継ぎ早に感動話に仕立て上げるより、ひとりひとりの日々の生活をリスペクトすべきだ。

 

努力を強いて薄っぺらい感動を生む。やってる事はワタミとそう変わらない。

同情するなら共感してくれ。募金もいいけど僕たちを社会から蔑ろにしないでくれ。健常者の感動を生む道具として使わないでくれ!

坊主憎けりゃ

 ブログ運営が続かない。三つ目の記事で小さな紙飛行機は墜落した。

 

 元々見切り発車で始めた当ブログだが、ガソリンの入っていないまま発進しようとしてもダメだった。公道に出た瞬間、カッコ付けて運転しようとしてエンスト、である。

 

 書くネタが無い訳では無い。イマイチやる気が起きないというクズの思考だ。元来の飽き性である僕は、こうやって数多のコンテンツを投げ出してきた。今はGmailのソーシャル欄に沈むはてな運営からのメールに怯え、シャワー中の3分で思いついたネタを雑多に書き散らしている。

 

 そもそも、三日坊主って何なんだ一体。三日なんて三連休で考えるとすぐだぞ?意気揚々とと目覚めた朝からF1カーの如く過ぎていく泡沫の夢だぞ?

「美人は三日で飽きる」とかも何なんだよ。飽き性でも三日は持つわバカ。

 

あっごめんなさい、この記事にオチはないです。云うなら見切り発車で始めた僕が憎い。

 

新藤晴一詞における『午前5時』というモチーフについて考察してみる

新藤晴一氏の歌詞が好きだ。
もう一度声を大にして言おう。
新藤晴一氏の歌詞が大好きだ!!

先日発売されたNEWシングル『THE DAY』が音楽チャートを賑わせている。
THE DAY

THE DAY


この歌詞の最初に登場する、あるモチーフ。それが『午前5時』である。
静けさがしみ込むようで息を止めた午前5時非常階段で爪を噛む 明日はどっちだ? THE DAY HAS COME
ポルノファンが午前5時と聴いて連想する曲。それは2ndアルバム『foo?』に収録されている『グァバジュース』だろう。
どうにもうまくいきそうでいかない 人影もないひっそり午前5時 頼りないバランスで空まで届くビル 下の方けったらガードマンが飛んできた きっとあれって揺れるんだ…ゼッタイ そしてあっけなくもねふりおとされたのがボク
このポップな失恋ソングも晴一詞なのだが、この午前5時にはどんな意味があるのか?ただの時間的な描写以外になにか意味はあるのか?それについて本気で考え、ジレンマの渦へ呑み込まれて来た。そういう理由のブログ更新である。

結論から言うと(回りくどい表現を好物とするハルイチスト的には不服なのだが)、午前5時は“一日の終わり”的な意味を持つのではないか。
『グァバジュース』では、真夜中に恋人に別れを告げられた主人公が帰路に立ったとき。
『THE DAY』では、今日を生き抜くことに手一杯な主人公が明日を恐れるとき。

“大都会午前25時”と唄った『まほろば○△』のように、晴一詞の深夜は主戦場のような雰囲気を醸し出している。薄い乳色の朝もやが空に架かる明け方こそが、歌詞世界にとっての眠り時なのではないか。(ただしウォーカーを除く)

THE DAYの主人公は、明日を恐れている。明日を占うためのカードさえ風に舞い上がってしまい、不安の中で絡み合う迷宮を抜けようともがく。そこを抜けた先にいる未来の主人公からの声援がこの歌詞である。
PVではメカニカルな球体に二人が触れることで巨大なロボットに展開した。これは間違いなく主人公の『成長』を表しているに違いない。

一日の終わりに爪を研ぐ主人公の姿は、もう来ているのかもしれない。

『若さ』という愛らしくも恐ろしい魔物

タワー・オブ・テラーの前の道にはちょっとした噴水がある。
f:id:fox_0829:20160520213911j:image (画像は拾い物)
ランダムな、それでいて規則的に吹き出す水はそこを歩く人に涼やかな安らぎを与えている。

木曜の僕は修学旅行中で、噴水の前でクラッシュ・アイスを嗜んでいた。アトラクションの連続に疲れた班のメンバーはベンチに座り、『ファンタズミック!』までの待ち時間を人間観察に勤しんでいる。

幼い少女が目の前を通り、時計のような規則性で吹き出す水の間を縫っていく。
平日の夕方にわざわざ遊びに来たリア充が、中央の水が出ない安全地帯で記念写真を撮っている。

沈んでいく夕陽が汽船に重なる、穏やかな黄昏時だった。

白のポロシャツに学生服のズボンを履いた一団(以下、本職と呼ぶ)が噴水の前を度胸試しのように走り抜けていく。
修学旅行中の中学生だろうか。本職たちは生き生きとした表情でふざけ合いながら、僕たちの前を何往復もしていく。
リズミカルに天に昇る水流、勢いを失い落ちていく水滴。まるで地雷原を軽快に駆けていくような彼らの姿に、涼やかなカーテンが重なってとても美しく感じた。ちょうど僕が食べているグァバのアイスのように甘酸っぱい青春の一ページだ。

「若いっていいなぁ……」

僕の口からため息のように出た言葉がコレだ。まだ十八にも満たないガキが何を言うんだ、と皆さんは笑うかもしれない。しかし、僕には到底できない事を彼らは軽々とこなしているのだ。嫉妬に似た感情を抱いていたのかもしれない。

本職たちは自分の服がグショグショに濡れる事なんて微塵も考えてないだろう。今のひと時を仲間たちと楽しむために全力なんだろう。後先を考えずに刹那的な楽しみを享受する姿が、いつの間にか損得で動くようになった僕の汚れた姿と重なって、不思議とそんな言葉がこぼれ落ちたのだ。

「若さとは振り向かないこと」だと、どこかの宇宙刑事も言っていたはずである。打算や駆け引きなど皆無な彼らの姿。うん、お兄さん的にはそのままの姿でいて欲しいな。そんな言葉が僕の口から出るのは時間の問題だった。

「おい、何やってんだよっ!!」

「やべぇ、拾え!!」

本職が急に焦りだす。どうやら誰かが悪ふざけで安全地帯にカバンを置き、それを回収しようとしているのだろう。幸いにも水は出ていない。猶予は十秒程ある!今なら無傷で間に合うッ!

彼らが噴水に足を踏み入れた瞬間、突如地雷は牙を剥いた。凄まじい勢いで吹き出す水。しかも一箇所ではなく、全スポットから。本職のポロシャツが透けだし、周囲は爆笑に包まれる。

しかし、彼らの顔は不思議と爽やかさに満ちていたのである。ちょうどグァバ味のような爽やかさが。

僕は決めた。

そうだ、はてなブログ始めよう。スベってもいい。この面白さを誰かと共有しよう。一時の面白さに、身を委ねてみよう。

そんな理由ではてなブログはじめます。


余談ながら、その時にアイスを車イスのクッションに落としたみたいで、こっちのズボンもグチョグチョになってました。ジーザス。