油揚げが爆ぜる音

ゆるふわノンフィクションの暴力

僕は『感動』を与えるために生きてるわけじゃない

毎年Twitterで言ってるけど、僕は24時間TVが嫌いだ。

あれほど醜悪なものはない。安易に感動をグラム売りする番組内容と、『理想の障害者像』にあてはまる物にしか目を向けない視聴者ほど。

 

僕は小児脳性麻痺でこの世に生まれ、18年間生きてきた。ろくに挑戦もせず日々の生活を送ってきた身にとって、頑張る障害者の姿は眩しい。

それと同時に、「あの子たちは頑張ってるのに、あなたはなぜだらけてるの?」と昔から言われ続け、僕はずっと違和感を覚えていた。『障害者はみんな頑張なければいけない』という無言の圧力が世間に想像以上に浸透している気がする。

 僕たちは日々頑張って生きているんだ。誰かを感動させるために生きてるわけじゃない。その人生の頑張りを認めてくれないのはなぜなんだろう。

感動ポルノ、という言葉がある。『障害者=感動』という安易な図式が広まっているのは、日本だけではないらしい。そんな式がまかり通っているなら、障害者差別は消えることは無いんじゃないか。

 

NHKは24時間TVの裏番組にバリアフリー・バラエティ(バリバラ)の特番を放送する。テーマは『障害者×感動』で、見事なアンチテーゼとなっている。

その番組は、障害者の目線で笑いを提供している。そこで放送されることは100%のリアルで、正直めちゃくちゃ面白い。健常者からは不謹慎だと言われることもあるが、当事者はこうして笑っている。

 

「24時間テレビはちゃんとチャリティーしてるから役立っている!」という意見もある。確かに寄付されたマイクロバスは昔活用していたから、僕もチャリティーの恩恵にあずかっていたんだろう。

しかし、本気でチャリティーを目指すなら出演者のギャラは無償でいいはずだ。視聴率稼ぎに司会をジャニタレにしなくていいはずだ。不幸な障害者をピックアップして矢継ぎ早に感動話に仕立て上げるより、ひとりひとりの日々の生活をリスペクトすべきだ。

 

努力を強いて薄っぺらい感動を生む。やってる事はワタミとそう変わらない。

同情するなら共感してくれ。募金もいいけど僕たちを社会から蔑ろにしないでくれ。健常者の感動を生む道具として使わないでくれ!